シミュレーション仮説とは
「シミュレーション仮説」というものがあります。
何かというと、僕ら人間が生活しているこの世界は、誰かが作ったゲームの世界に過ぎないんじゃないか、という仮説です。
シミュレートとは、「模擬実験する」とか「試す」という意味があります。
例えば、ゲームの世界で街を歩いているとします。
周りには車が走っていたり、人が歩いていたりします。
道を曲がると、そこでも人や車が行き来しています。
この画面を繰り返し見続けることで、プレイヤーは他の場所でも同じことが起こっていて、そういった世界を歩いているんだと錯覚します。
しかし、実際には画面に写っていない他の場所では何も起こっていません。
プレイヤーの視点に入った部分だけがゲーム内では再現され、それ以外の場所は全く何もない空間が広がっています。
プレイヤーがその場所に現れた瞬間に、人や車が現れるわけです。
すごく高い場所から街を見下ろすと、街を走っている車などが全ていっぺんに見えると思いますが、それほどの車を登場させるには膨大な量の処理が必要になってしまうので、遠くから見る街や車の動きは簡略化され、人や動物などの小さいものは登場しないようになります。
これは、ゲームの負荷を減らすための仕組みなのです。
つまり、“認識できないほど細かい動きは、処理の負荷を減らすために簡略化され、目に見えて認識できるようになって初めてその具体的な動きが見えるようになる”ということです。
このゲームの世界の仕組みは、シミュレーション仮説の説明において非常に重要になります。
ニック・ボストロムの三つのシナリオ
さて、哲学者のニック・ボストロムさんという人が、シミュレーション仮説についてこんな主張をしました。
- 何らかの進んだ文明が、人工意識を作り出すコンピュータシミュレーションを行う可能性がある。
- そのような文明は、そのようなシミュレーションを娯楽、研究、その他の目的で多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
- シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。
少し難しいですね。以上3つに可能性があるとすると、次の3つのシナリオのうちのひとつが真実であると言えるらしいです。
- 1.知的種族は、現実と区別がつかないほど現実性のあるシミュレーションを開発できるほどの技術レベルに達する前に絶滅した。
- 2.そのようなレベルに達した種族は、そのようなシミュレーションを実行しようとすることに対しての興味を失った。
- 3.我々は実際にそのようなシミュレーションの中で生きている。
ボストロムさんの主張の前提として、人類の文明がこのまま進めば、技術的に生命に溢れた惑星全体をシミュレートしたり、さらには宇宙全体をその全住民とともにシミュレートできるという考え方があります。
そして、シミュレートされている人々はそれぞれに意識があり、その中にシミュレーション外部からの参加者が混じっているとします。
考えてみてください。もし未来、人類がそのような技術レベルに到達できていたとしたら、過去をシミュレートして再現してみたい!と思いませんか?
もちろんその時点でも人類が過去・歴史に興味を持っていて、法律や道徳的にも問題がないということが前提ですが、
未来そうなってしまうんだとしたら、過去に関するシミュレーションが多数実行されていると考えるのが普通ではないでしょうか?
そうであれば、そのようなシミュレーションの中でも段々と文明が発達していき、
同じように過去や歴史のシミュレーションが行われて、
さらにその中でもシミュレーションが行われ、、、と派生していくはずです。
ここまで考えると、我々が実際の宇宙に存在しているよりも、
多数のシミュレーションのいずれかに存在している可能性のほうが高い気がしますよね。
フランク・ティプラーの宇宙シナリオ
また、物理学者のフランク・ティプラ―さんも似たようなシナリオを考察しています。
宇宙は現在加速膨張していますが、やがて加速膨張の原因であるダークエネルギーより重力の効果がより強くなって加速膨張が終わり、
宇宙は収縮に転じて最終的にビッグバンと同じ高密度状態に逆戻りする、という説があります。
これをビッククランチと言いますが、彼はこの仮説を採用しました。
宇宙全体の計算能力は時間と共に増大していき、ある時点で終焉までの残り時間が無くなっていく速度よりも計算能力の増大が大きくなるとします。
そうすると、実際の宇宙には有限の時間しか残されていないにもかかわらず、増大した計算能力によって生み出されるシミュレーション内の時間は永遠に続くことになります。
分かりやすく言うと、強大なコンピュータがあれば、人間の脳内の状態をシミュレーション内で作り出すことができるということで、
それはつまり、過去に生きていた人々全員を復活させるということも可能だということです。
となってくると、これによって実際の宇宙空間からシミュレーション内に移住してきた人と、
シミュレーション内に新しく生まれた仮想市民で、新しい世界に住むことができるわけです。
そうなると、その中の住民から見ればシミュレーションの世界は永遠に続く未来です。
仮説を否定する考え方
ビッククランチが起こるかどうかはまだ議論の途中ですが、もし仮に、今生きている世界がもう既に仮想現実、つまりゲームの世界であるならば、そんなことは起こり得ないので議論をする必要もなくなってしまいますね。
僕ら人間が現実として受け止めているものがシミュレーションであるという可能性を示すには、それが錯覚であるということの何らかの証拠が必要です。
夢が錯覚の証拠になる?
例えば夢は、それを見ているときは夢だとは思わないですよね。普通の現実世界に見えてしまうわけです。
生活全体が夢であるという仮説には、論理的には全く問題がないわけです。
なぜなら、夢の中で僕らは眼前のものを何でも創造できるからです。
しかし、それが論理的に不可能でないとしても、真であると仮定すべき根拠もまたありません。
そして実のところ、僕らと独立な物体が存在し、その行動を感覚を通して感じているという常識的な世界観に比較して、全てが夢であるという仮説は単純さに欠けます。
シミュレーション説、否定派の意見
もちろん、シミュレーション仮説を否定する意見もたくさんあります。
例えば、僕らがシミュレーション内にいるという主張への決定的な反論は、計算不能な物理学現象の発見です。
もしシミュレーションの世界に生きているとするなら、この世界のことはコンピュータでできること、つまり物理学で再現可能なことしか起きないはずです。しかし、計算不能な物理学現象が発見されれば、それはコンピュータでは再現できないので、シミュレーションではないことの証明になるからです。
ということで、この世界は仮想現実である!という説ですが、夢があるし面白い仮説ですよね。でも、これを証明してしまうような実験が存在するので、今回はそれを紹介します。「二重スリット実験」と言います。
二重スリット実験の不思議
※かなり複雑な実験なので、わかりやすく説明するために簡易的にまとめています。正確で詳細な実験が知りたい場合は論文をご参照ください。
まずは、この図を見てください。
まず、赤いボールを壁に向けて無数に発射するシーンをイメージしてください。
赤いボールと壁の間にはもう1枚壁があり、そこには二本の隙間が空いています。奥の壁まで届いたら、ボールが当たった位置に印が付く仕組みです。
そうすると、当然ですが二本の隙間を通ったボールのみ奥の壁にたどり着くので、奥の壁には二本の赤い線ができますよね。
では、これがボールではなく水の波だったらどうでしょうか。
二本の隙間を通った波が干渉し合っていくつもの波が生まれ、それらの波が強く当たる場所を観測すると、奥の壁には縞模様ができるんです。
つまり、物質には先ほどのボールの実験で現れたような「粒の性質」と、波の実験で現れたような「波の性質」があるわけです。これを、ボールでも水の波でもなく、電子でやってみた人がいたんですね。
すると、不思議な現象が起きました。ボールと同じように電子を発射したので、2本の線が現れると思われていましたが、実際には波のような縞模様ができたんですね。
最初は、「もしかして一気に発射しちゃったから、小さすぎて波みたいになっちゃったんじゃないか?」とも思われましたが、その後、今度は電子を1つずつ発射して実験しましたが、結果は同じ縞模様でした。
なぜ1つずつ発射しているのに縞模様になってしまうのかは、まだよくわかっていません。
さて、この実験を見たある科学者は、発射した電子がどちらの隙間をどのように通ったら縞模様なんて不思議な結果になるのか、気になったようです。
そりゃ気になりますよね。そこで、実験した場所に観測機をおいて、どの電子がどちらの隙間をどのように通っているのか、目で見て確かめようとしました。
すると、ここでもさらに不思議な現象が起きてしまいました。
観測をしたときだけ、縞模様が消えて二本の線だけになってしまったのです。
観測をしていないときは縞模様ができ、観測をしたときは二本線ができる。これって、よく考えると、冒頭でお話したゲームの世界に似ていませんか?
観測後の判定でも変わる結果
“認識できないほど細かい動きは、処理の負荷を減らすために簡略化され、目に見えて認識できるようになって初めてその具体的な動きが見えるようになる”
まさにこの現象が起きていたわけです。仮にこの世界が誰かが作ったゲームの世界だとすると、その処理の負荷を減らすために簡略化されている、と説明することができます。
実際に、先ほどの実験をもっと複雑な仕掛けにして、観測をしたかどうかを、電子が隙間を取ったあとに判明させるようにしてみたりもしたんですね。
つまり、電子が隙間を通ったあとに「これは観測してました」「これは観測してませんでした」というのをやってみたわけです。
すると、電子は隙間を通ったあとに判明する観測の有無に、完璧に正解しながら隙間を通ってしまったのです。
これも、この世界が誰かに作られた世界なんだとしたら、納得が行ってしまいますよね。
シミュレーション仮説のまとめ
私たちが「現実」だと信じている世界は、実は高度な文明によって作られたシミュレーションかもしれない――そんな可能性を示すのがシミュレーション仮説です。
ニック・ボストロムやフランク・ティプラーの考察、そして二重スリット実験のような量子現象は、この世界が観測される瞬間に詳細を生成する「プログラム」であるかのような不思議さを感じさせてくれます。
もちろん、この仮説には決定的な証拠も否定もまだ存在しません。
しかし、もしこれが真実であるなら、私たちの存在や歴史、未来の意味は大きく変わるでしょう。
証明も否定も難しいからこそ、この発想は人類にとって尽きることのない想像の源であり、「今」という体験そのものをより大切に感じさせるきっかけになるのです。